眠り姫9

 

瞼を持ち上げたら、白い天井が見えた。
オレの部屋じゃない。
ツンと鼻をくすぐる薬の匂い。

「ナルト……」
見下ろす顔。
「サクラちゃん」
答えたら、若草色の瞳が少しホッとしたように垂れた。
「大丈夫?」
「ん、平気」
答えながら、手を目の前に持ち上げる。指を動かしてみる。
「話は聞いたから」
「え?」
何のことだかわからなくて聞き返す。
「いのが話してくれた」
「ああ、そっか」

沈黙が流れる。
でも、別に気まずいとは思わなかった。
サクラちゃんも多分そう感じてる。

一緒にいるのが、あまりに自然で。
だから黙っていても喋っていても別にどちらでもいいんだ。
ただそこにいてくれるだけで心が落ち着いた。

オレは身体を起こした。
「よっ」
腕を回して身体の感覚を確かめる。
ちゃんと自分の意思の通りに身体が動く。
そんな当たり前のことが嬉しくてオレは笑った。
サクラちゃんは何も言わずにただ黙ってそれを見ていた。

「いのの心転身ってさ、スゲーよな」
「うん」
「でも、オレ習得したってばよ」
「うそ」
「ま、半分くらいだけど」
「じゃあ、やってみせてよ」
サクラちゃんの言い方が少し挑戦的な色を含む。
オレはサクラちゃんの顔を真っすぐ見上げた。
「いいけど、そうしたらサクラちゃんさ、オレの奥さんにならないといけないってばよ」
「どうしてよ」
「オレ、サクラちゃんの精神乗っ取って、さっさと結婚式挙げちまうからさ」

冗談ぽく言うことも出来たけど、そうしなかった。
わからないとは言わせない。
オレはサクラちゃんが好きで、これから先もずっと一緒にいたい。
例え拒否されても強引に押し進めてやる、それくらいの気迫を持って口にした。

サクラちゃんはオレを真っすぐ見返すと口を開いた。
「そんなことしたら許さないから」
とても冷たい声。
すっげー怒ってるのがわかる声。
以前のオレなら慌てて冗談に紛らわせて逃げていただろう。
でも今日のオレは負けじとサクラちゃんを見返した。
二人、静かに睨み合う。
何秒くらい睨み合っていたのかわからない。でも、多分ほんの数秒。
先に視線を落としたのはサクラちゃんだった。
「何よ、ナルトのくせに」
懐かしく感じるフレーズ。
それでも黙ったままサクラちゃんを見つめていたら、彼女は悔しそうに顔をしかめた。
「だって……女の子にとって結婚式って憧れなのよ。それを精神を乗っ取って終わらせるなんて一生恨むに決まってるじゃない。そんなことしたら毎日毎日文句言ってやるんだから」
「毎日?」
「そうよ。朝起きたら怒って、昼の仕事中も怒って、夜眠る時だって怒って。それこそ顔を合わせる度に文句言ってやるわ」
フンと顔を背ける。その頬が少し赤い。
「サクラちゃんは、どんな結婚式がしたいんだってばよ?」
「どんなって……そんなの急に言われたって困るわよ!!」
サクラちゃんはそう言うと後ろを向いてしまった。

「嘘だってばよ」
「え?」
「オレ、基本的にサクラちゃんが嫌がること出来ないからさ」
そう言ったら、サクラちゃんはこちらをチラッと向いて頬を膨らませた。
「そんなこと言って、この間したじゃない」
「え?この間?」
「無理矢理、薬を飲ませたじゃない」
あ、しまった。
ぐっと詰まったオレ。
が、そんなオレを見て、サクラちゃんの表情が少し和らいだ。
「わかってるわよ、あれは医療行為なんだものね」
「え、あ、う……」
それを諾としてしまうと男らしくない言い訳になる。でもそれを否定してしまうとオレは嘘つきになる。
どうするべきなんだ?!オレは心の中で頭を抱えた。

その時、サクラちゃんが動いた。
ベッドの上に手を置いて、こちらに身を乗り出す。
サクラちゃんとの距離が急に数十センチになって、オレは殴られるのかと一瞬身構える。
でも聞こえたのは、小さな囁き声。

「キスして」

オレは返事も出来ずに彼女の顔を見た。
冗談なのか、からかっているのか、それとも……

でも、それを見極めるよりも先に柔らかなものが唇に押し当てられていた。
柔らかい。温かい。いい匂いのするもの。

頭の奥がジンジンと痺れるような、そして腹の下の方がズクズクと疼くようなヘンな感覚。

微動だに出来ずに、ただ目を見開いていたら、押し当てられていたその柔らかな感触が離れていった。
その髪の色と同じくらい頬を染めたサクラちゃんが口を尖らせてオレを睨む。
「目くらい閉じてよ」
「え、あ、うん」
「それに、順番が違うじゃない。結婚より前にすること、あるでしょ」
吐息がかかる距離で止まっている、その柔らかいモノ。

オレは腕を伸ばしてむき出しの細い腕を掴んだ。引き寄せる。
「順番なんてカンケーねーよ」
言い方がぶっきらぼうになる。
ただただ、もどかしいばかりに柔らかな唇を貪るように攻めていく。

抵抗はなかった。
でも逃げられないように押し倒して、ベッドに縫い止める。
白いシーツの上にこぼれる少し伸びた桜色の髪の毛。
ずっと触れたかった。
でも、触れてはいけないと思っていた。

「アンタならそう言うと思った」
そう言って笑うと、彼女は細い腕を持ち上げてオレの首に手を回した。
甘い香りがオレの全身を包み込む。頭がクラクラする。

「そんなに挑発すると抱いちまうってばよ」
声が掠れる。
「やれるもんならやってみなさいよ。病み上がりのくせに」
可愛くない物言い。
でも、
「震えてるってばよ?」
肩が細かく震えていて、彼女の緊張を伝えてくる。
なのに、彼女は慌てたように言うんだ。
「ち、違うわよ。武者震いよ」
オレの好きな子は面白い子。強がりで、負けず嫌いで、男前で、でもたまにとても臆病な……。

オレは彼女の手を引っ張るとベッドの上に座らせた。
真っすぐに彼女の顔を見つめたら、サクラちゃんは戸惑ったような顔をした。
「……ナルト?」
オレは安心させるように笑ってみせる。
「オレさ、サクラちゃんとは同じ目線でいたいんだ」
「え?」
「さっきの体勢だとオレが無理強いしてるみたいだしさ、サクラちゃんが怖いなぁって思っても逃げられないだろ。だから……」
続けようとしたら、サクラちゃんは眉をキッと上げると真っ赤な顔で叫んだ。
「私が逃げようと思ったら、アンタなんか病院と一緒にぶっ飛んでるわよ!」
「それは、まあ……ごもっともです」
オレはおかしくなって噴き出す。サクラちゃんも表情を和らげた。
「バカね。強引にいけばいいのに」
「え?」
「でも、そういう所がアンタのいい所よね」
耳に届く声。その囁きが振動になってオレの中を揺らす。
「え、えーと……」
ものすげー先に進んでしまいたい気分なんですけど。
でも、強引にいかないのがオレのいい所?
ってことは我慢しないとダメ???
どうしたらいいんだ?と固まったオレ。
サクラちゃんはそんなオレを見ておかしそうに笑った。
その屈託の無い笑顔を見ながらオレは思った。
アイツらとの対決は、サクラちゃんのこの笑顔一回で逆転ホームランってことにしてくんねーかな。

 

「ダメです」
にべもない返事。腕を組んで無表情でこちらにガンを飛ばす姿にオレは頬を引き攣らせる。
「美月〜〜〜」
やっぱりコイツは苦手だ。
「笑顔対決を反故に、なんて虫が良すぎます」
「だってさ、オレ、綱手のばあちゃんの薬で動けなかったんだもんよ」
「言い訳する男ってサイテー」
コ・ノ・ヤ・ロー……
ギリギリと歯ぎしりをするオレと美月の間に割って入ってきたのはゲジマユだった。
「まぁまぁ、とにかくナルトくんも無事任務に復帰出来たことですし、また勝負を再開しては……」
「「それはダメ」」
オレと美月の声が重なる。
「じ、じゃあ、とりあえず最終日時点での結果で判定したら」
「それもダメ!」
オレが叫んで、ゲジマユを睨みつける。
すると、背後からおもむろに声がした。
「美月サツキ15回、ロック・リー9回、うずまきナルト2回。で、ボクは17回」
「え」
振り返れば、ノートを片手にサイが立っていた。
「最初の一週間でのサクラの笑顔の数。ってことで、ボクの一人勝ちだね」
「サイ!おまえ、サクラちゃんの側にいたくないって言ってたじゃねーか!」
「うん。自分の身の安全が一番だからね。あんな暴力をふるう人間の側になんかいたくないよ」
しゃあしゃあと答えるサイ。
サクラちゃんがいたら、完全に場外に飛ばされてるはずだ。
「というわけで、この勝負は無しだね」
ニッコリと綺麗な笑顔。なんかムカつくけど、とりあえず反故になったなら、とオレは胸を撫で下ろす。
「でも、どうしてこんな勝負始めたのさ?」
「え?」
「結局、サクラはナルトが好きだったんでしょ。じゃあ、勝負なんて最初からないのと同じだよね。なのに勝負しようって言い出したのは単なる自己満足?それともただ勝負してみたかっただけ?」
「お、おまえだって乗ったじゃねーか」
「だから言ったじゃない。楽しそうだから仲間に入れてって」
「そりゃあ、そうだけど」
オレは美月を振り返る。
確か、こいつがケンカ売ってきたのが元々の原因だったよな?
美月は横目でオレを睨みつけると、ハアとため息をついた。
「誰かさんがおよび腰で前に進もうとしないから、お尻に火をつけてあげただけですよ」
「じ、じゃあ、ボクは……?」
ゲジマユが指で自分をさす。
「あなたは途中で勝手に乱入してきたんじゃないですか。ま、役割で言えば、いわゆる当て馬、噛ませ犬ってヤツですね」
アッサリと言いきる美月に、ガックリと肩を落とすゲジマユ。

ふとオレは気付いた。
「あれ?ところでさ、オレの笑顔の回数が2回ってことは……おまえ、アレ見てたのか?」
「うん、見てたよ。それがボクの役割だからね」
美月が眉を寄せてサイの顔を見上げる。
「アレって何ですか?」
「ああ、ナルトがサクラの治療受けながらあちこち触られて性欲ビンビンになってたこと」
「わーーーーーっっ!!!」
オレは叫んでサイを遠くにぶっ飛ばした。
「……サイテー」
今までで一番冷たく氷のように心を凍らせる声が背中から聞こえる。
そして、もう一声。
「ナルト君、男たるもの多少は仕方ないことと思います。でも、サクラさんの聖なる診療にそんな不埒な考えを起こす輩をボクは許せそうにありません」
直後、背中に訪れる衝撃。
「天誅ですっ!!木ノ葉旋風!!」
オレは甘んじて罰を受け入れた。

 

「随分くたびれた格好だな」
念のためにと言われ、綱手のばあちゃんの診察を受けに来たオレ。
ゲジマユにやられた結果、白い火影羽織は無惨に砂埃を吸って薄茶色になっていた。
「別に。ちょっと修行してただけだってばよ」
「ふーん」
綱手のばあちゃんは面白くなさそうに返事した後、急にニヤッと頬を持ち上げた。
「で?サクラとはうまくいったんだろ?」
「え」
「俗にいう『雨降って地固まる』ってヤツか。お前ら、単純だな」
「あぁ?」
「『怪我の功名』、『災い転じて福となす』。他には何かあったか?ま、結果オーライってことで」
「雨降らせたのも、災い引き起こしたのもばあちゃんだよな」
「へえ、感謝の言葉をくれるのかい?律儀だねぇ」
「ちげーよ!」
飄々とうそぶくばあちゃんを、オレはギリギリと睨みつけた。
あー、もう。ばあちゃんって、どうせこういうヤツだよな。

「今日はなんだい。身体はもう問題ないんだろ、私は忙しいんだ。とっとと任務に戻りな」
「わーってるってばよ!」
「ったく、火影ってのはね、里の皆の幸せを請け負うって大きな責任を背負ってる人間のことなんだよ」
「んなことはわかってるよ。だから頑張ってるだろ」
「いいや、おまえはその意味をまだちゃんと理解してない」
綱手のばあちゃんの決めつけたような言い方にカチンとくる。
「あぁ?どういうことだよ」
「人を幸せにするなんて、自分が幸せで初めて出来ることさ」
「なんだよ、それ」
「人間は、自分のコップから溢れた分しか人には与えられないもんなんだよ。自分の中が満たされて初めて、やっと外に向かえるんだ。それを自分を後回しにして他人を先に幸せに、なんて偽善者の考えることさ」
オレは眉を寄せた。
「……言ってることがよくわかんねーんだけど」
「人を幸せにしたいなら、まずおまえがなれって言ってんだよ」
「オレ?オレは幸せだけど?仲間がいて、夢だった火影になって、それに……」
サクラちゃんとチューも出来たし。
オレはさっきのことを思い出して、ニヘラと頬が緩みそうになるのを必死に抑える。
でも……
「でもさ、一つ夢が叶うとさ、もっともっとって要求がでかくなっちまうんだよな」
さっきはカッコつけて自分を押しとどめてはみたけれど、本当はもっと欲していた。
昔は顔を見られるだけで幸せだったのが、今はそれでは満足出来なくなっている。
「求める幸せが大きくなり過ぎたらどうなるんだよ。幸せってすげー曖昧だし、それに際限なくねーか?」
また、それを失うことになったら、オレは一体どうなるんだろう。
「おまえは貧乏性だねぇ」
「え?」
「火影として木ノ葉の平和には貢献出来るけれど、外の国にはまだ貧しい所もある。いさかいが絶えない地域もある。おまえの目が外に向かうのもわかるよ」
「あ、うん……」
いや、そっちもだけど、もっと個人的な、サクラちゃんとのその後について考えてたんだけど。……とは言えなかった。
「幸せなんて個人それぞれ違うものさ。でも、おまえはおまえの考えで一つ一つ前に進んでいけばいい。時間はあるし、それにおまえのその気持ちは火の意思として受け継がれていくから」
「火の意思か……。うん、そうだな」
オレは頷いた。そうだな。時間はある。
それに綱手のばあちゃんの言う通りだ。オレの願いはサクラちゃんと一緒に世界を変えていくこと。その願いは、いずれ後輩たちに引き継がれていくことになるだろう。

と、目の前に小さな薬瓶が差し出される。濃い朱色の瓶だ。
「ん?」
「おまえにやるよ」
「まーた薬かよ。もう勘弁してくれってばよ」
オレが心底げんなりした顔をして見せたら、綱手のばあちゃんはニヤッと笑った。
「そう言うな。これはサクラとの関係を深めるのに役立つぞ」
「え?」
「火の意思ってことは受け継ぐものが必要だろ?子作りに役立てるんだな」
「……は?」
「これは媚薬としては副作用もあんまりないしオススメだぞ」
「ビヤクって、またかよ。オレもサクラちゃんも、もう元気だから必要ねーってばよ」
「なんだ、もうやったのか」
「は?やったって……アレ?」
「そうそう」
「い、いや、まだチューだけで……って、いや、あの」
つい素直に答えてしまって慌てて訂正したら、大きな雷が落ちた。
「おまえはバカか!あれだけお膳立てしてやってまだチューだけ?フザケるな!いいから、この薬をサクラに使え」
「だって、ビヤクって座薬の仲間なんだろ?サクラちゃんにそんなこと出来ねーって」
「……おまえは何を言ってる?」
「だって、座薬ってあそこに入れるんだろ?ってことは、ビヤクも……」
「あそこ?……おまえ、もしかして、ビヤクのビは九尾の尾とでも思ってるのか?」
「違うのか?」
「ビヤクのビは媚びるって漢字だよ。おまえ、本当に漢字を知らないな」
「コビル?」
オレが聞き返したら、綱手のばあちゃんはハアとため息をついて本棚から辞書を手に取るとパラパラとめくった。
「見てみろ。媚びるとは、女が男の気を引こうとしてなまめかしい態度や表情をすること。
つまり、行為の時に女が男を誘うってこと。で、その為の薬ってことは……」
「ってことは?」
ゴクリとオレの喉が鳴る。
「ま、言うなれば、そういう行為の時に、女を興奮させて失敗しないようにする為の薬さ」
「えーーーーーーーーーっ!!」
「最初はどうしても難しいからな。初めて同士だと上手くいかないことも多いし」
「い、いらない!!」
「は?」
「もう金輪際、ばあちゃんの変な薬に引っかかるもんか!オレは薬なんかには頼らずに、立派にやりおおせて見せるってばよ!!」
そう叫ぶとオレは窓から飛び出した。
後ろから大きな笑い声が追いかけて来たけど、オレは聞こえないフリをして飛び去った。

少しして一軒の屋根の上で足を留める。
動揺したせいで息が乱れていた。
「ったく、あの歳になると人をからかうくらいしか楽しみがなくなるのかよ」
こんな所、他の誰にも見られるわけにもいかない。オレは火影なのだ。
チラッと目線を上げたら、遠く代々の火影岩と目が合った。
一番右側がオレ。その左側にばあちゃん。
『人を幸せにするなんて、自分が幸せで初めて出来ることだよ』
さっきのばあちゃんの声が心の中に響く。
でも、ばあちゃんは弟を亡くし、恋人を亡くし、仲間を亡くした。
「ばあちゃんは幸せだったのかよ?」
そうオレが聞いたら、ばあちゃんは何と答えたんだろうか。
オレはしばし考えた後、軽く首を振った。
「当たり前だろ」そう答えて、綺麗な笑顔を見せるばあちゃんの姿が思い浮かんだから。

 

「サクラちゃん、仕事終わった?」
夜、病院に顔を出す。
サクラちゃんは病院と執務室とを行ったり来たりしてるから、会えない日はオレが病院に顔を出すようになっていた。
「ナルト」
サクラちゃんが机から顔を上げた。
「ごめん、今日中にやらなきゃいけない仕事が終わらないの。夕飯一緒に行けそうにないわ」
「えー」
「ごめん」
サラッと謝って、また書類に目線を落とすサクラちゃん。

これだ。
サクラちゃんは仕事の鬼だから、仕事モードの時は全く相手にしてくれない。
当然、それは執務室でも同じことで、だから例え一つ部屋に二人きりでいたって甘い雰囲気になるワケもなく。
だから、せっせと仕事帰りに誘っているのだが、これがなかなかタイミングが合わない。
オレが捕まってたり、サクラちゃんが捕まってたり。
で、結局、想いが通じて2週間ほど経つけれど、まだ何の進展もないまま時間が過ぎていた。
でも、今日の今日は譲るわけにはいかなかった。
だって明日からオレは霧隠れに行かなくてはいけないのだ。
サクラちゃんは留守番に決まっていたから、しばらく顔も見られなくなる。
待つ。待つぞ。こうなったら持久戦だってばよ。
オレは窓枠から部屋に上がり込むとあぐらをかいた。
「ナルト?」
「気にしなくていいってばよ。オレもここで仕事してるからさ」
言って、腰のポーチからメモを取り出す。そのメモには仕事のリストがどっさり載っていた。
今後の予定も事細かに書かれている。
それによると、やっぱりどうやっても2週間は木ノ葉に戻ってこられそうにない。
うーん、長いな。
ムフーとため息をついて、ふと顔を上げたらサクラちゃんがオレを睨んでいた。
「気になるから帰って。大体アンタは明日から霧隠れでしょ。早く家で休みなさいよ」
オレは仏頂面になる。
「だって2週間の間に浮気とかあったらどうすんだよ」
「はぁ?!アンタ、浮気する気?」
「オレじゃねえ!」
「私がするわけないでしょ!」
「んなこと言ったってさー」
そこで名案が浮かんだ。ポンと手を打つ。
「じゃあさ、サクラちゃん、今日仕事終わったらオレん家来てよ」
「は?」
「そうしてくれるんなら、オレ、家を掃除して待ってるから」
「で、でも何時になるかわかんないし」
「いいって。待ってるから」
「あ、ちょっと!」
オレはサクラちゃんの返事を待たずに飛び出した。
急いで掃除しねーと間に合わないってばよ。

 

と、飛び出た病院の入り口で見覚えのある人物とはち合わせる。
「あ、ジャマ虫」
美月だ。チッという舌打ちの音すら聞こえそうな仏頂面をしている。
「誰がジャマ虫だよ」
オレが睨み返すと、美月はフンと横を向いて前を通り過ぎて行った。
オレもそのまま行こうかと思ったけど、でもそれも何だか気持ちが悪かった。
オレは意を決して口を開く。
「あのさ、ありがとな」
すると美月の足が止まった。さも嫌そうな顔をして後ろを振り返る。
「何がですか?あなたが礼を言うなんて、気持ち悪い」
コイツ、本当にオレのことが嫌いなんだな。
素直というか、恐いもんなしというか、そういう所はサクラちゃんに似てるなぁと思う。
オレは次に言うべき言葉も出てこず、頬を引き攣らせたまま黙った。
すると、
「私、サクラ先輩に憧れて医療忍者になりました」
美月が小さな声で、そう呟いた。
「だから先輩を泣かせたら……」
許さないんだから、とでも言うんだろうか。
それってオレを彼氏と認めてくれたってことなんだよな。
コイツ、可愛い所あるじゃん。
そう喜びを噛み締めていたオレの耳に届いた言葉は恐ろしいものだった。
「呪ってやるから」
「……あ?」
オレは固まる。
オイオイ……なんて物騒なヤツなんだよ、コイツは。
前言撤回、コイツはサクラちゃんに似てない。
サクラちゃんは呪うなんてしない。絶対しない。しないったらしない。いや……しないで欲しい。

オレは頭を押さえながら、ともかく美月に向かった。
「あのさ、泣かせないは約束出来ない。だって、サクラちゃんはすぐ泣くから。泣かせないなんてぜってー無理。それにオレ、サクラちゃんの泣き顔好きだし」
「何それ。ノロケですか?」
ギロリと美月の目が光る。マジで呪いをかけかねない迫力。
オレは急いで続けた。
「でも、幸せにするから」
そうしたら、美月は黙ってじっとオレの顔を見た。
蛇に睨まれた蛙ってこんな感じかも。そんなことを思ったりする。
しばらくして、美月はため息をついた。
「わかりました」
オレもホッと息をつく。
「でもサクラ先輩が幸せじゃなさそうに見えたら、私、遠慮なく仲をぶち壊しに行きますからね」
「う……、わかったってばよ」
コイツは苦手だ。心底苦手だ。
会話を早々に終わらせて逃げようとも思ったけれど、ふと気になったことを思い出してオレは口を開いた。
「あのさ」
「何ですか?」
「いのと話してたのを聞いたけどさ、オレとサクラちゃんくっつけようとしてたろ?なのに、どうして一方じゃ媚薬入りのクッキーを作ってサクラちゃんに食べさせてたんだよ?」
オレが聞いたら、美月は眉を寄せた。
「吊り橋効果についてはご存知ですか?」
「ああ、まぁ何となくは一応」
「本当はあれって真実ではないんです。どんなに心臓がドキドキした状況で相手を見たところで、好みのタイプじゃないとか最初から恋愛の対象でないとかの場合には惚れさせることは出来ないんです」
「え?そうなの?」
「私が媚薬入りのお菓子を差し入れたのは、大抵その後に執務室に行く日だけでした」
「ってことは、まさかオレのために?」
まさかそこまでしてくれていたとは。
「いえ、サクラ先輩のためです」
あっさりと答える美月。
「あ、そ。でもさ、執務室にはシカマルだっているし、おまえと別れて執務室に着くまでに色々なヤツに会うだろうし、そんな危険なもの飲ませるなんてさー」
「だから恋愛の対象でない限り効き目はないって言ってるでしょ!それに、既に誰か好きな人がいる場合には、その人に対して積極的になるなどの効果が現れるはずでした」
「え、オレ、サクラちゃんに積極的にしてもらった記憶ねーぞ」
オレって恋愛の対象じゃなかったのかよ?
「先輩はちょっと鈍感でズレてる所がありますし、基本的には理性的な人で感情を抑えようと努力してますから。だから眠れなくなってしまったのかもしれないです」
「ふーん」
オレはよくわからなくなって首を傾げた。
「ま、でも、とりあえずおまえには礼を言いたくてさ。ホント、ありが……」
「違います!あなたの為じゃありません!!」
オレのセリフは最後まで言わせてもらえなかった。
「そんなムチャクチャ否定しなくてもいいじゃんよ。だって結果的には美月の……え?」
オレは言葉をのんだ。
美月の目から涙がこぼれていたのだ。
「ちょっと、おい、美月……?」
美月は目をギュッと瞑って、絞り出すかのように声を上げた。
「だって、ほんの少しでも私のことをそういう対象として見てくれたなら効果が出てたかもしれないじゃないですか。望みを失わなくて済んだかもしれないじゃないですか。でも……でも」
後は続かなかった。
コイツはコイツで本当にサクラちゃんのこと好きだったんだな……。
オレは顔を上げて急速に更けゆく空を見上げた。細い細い三日月が無情に笑っていた。

 

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