ネタバレです。
アニメ・コミックス派の人は読まないでねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー 素直な顔で ー

 

 

誰も会話をモニターしていない時間。

その制限付きの時間が終わろうとしていて
アクリル板越しの指がそっと名残惜しそうに離れていく。

初めて触れた。
彼女の頬は柔らかくて温かくて
そして消えそうに儚くて
まるで夢のように美しい時間。

おかしいな。
悪夢のようなこの場所で
どうして私は夢が醒めないようにと願っている?

もし、これが本当に夢だったら
雪村あぐりがこの世にいなかったら?

私はきっとおかしくなる。
夢を見る前以上の「死神」となる。

生を知りたかった。
真実を知りたかった。
それを教えてくれたのは
「暗殺」だけだった。

でも本当は何になりたかったのか?
『あなたはちょっとHで、頭はいいのにどこか抜けてて、せこかったり意地張ったり……』
触手は素直な私なのだと、雪村あぐりは言う。

そんなことを考えていた私は、ふとそれに気付く。
「ああ、しまった」
声を発する。

「え? どうしました?」
監視モニターの目を気にして机に戻って書き物をしていたあぐりが顔を上げる。
目が合う。

「……いいえ、何も」

胸を触らせて貰うんだった。
……なんて、言えるわけもない。

あぐりは嘘を言った。
触手がもし本当に素直ならば、
頬ではなく胸に向かっていたのではないか?

不思議そうな顔をしているあぐりに微笑みかける。
モニターを意識したビジネスの微笑み。

「ちょっと、忘れ物を思い出しまして」

彼女の顔が少し締まる。
俺の笑みと言葉に何かを感じたのだろう。
本当によく見ている。

そうだ。触りたかったはずだ。
触手の俺は。
丸くて柔らかそうで
美味しそうな彼女の胸を。

でも、触手はそれでも触れなかった。
俺がなりたい俺は素直ではあるが
無差別に自分の欲求を満たすわけではない。
ちゃんと心にモラルを持っている。

だが、もし自分が突然胸に触ったら
あぐりはどんな顔をするんだろうか?

怒るのか
母親の顔で許すのか
教師の顔で叱るのか
それとも女の顔をするのか

もっと色々な顔を見てみたい。

少し天然で抜けていて、
でも、時に敏くて鋭くて、
そして多分それだけではない。
もっとたくさんの彼女の顔。

「あなたの素直な顔はどんな顔なんですか?」
唐突に質問してみる。
あぐりは戸惑ったような顔で答えた。
「私の素直な顔?私は素直なつもりですが」
「隠している顔だってあるでしょう?」
ちょっぴり意地悪な言い方。
「別に、特には……」
言いかけた後、
「あの」
と話しかけて来る。
「逆に聞いていいですか? どんな顔があると思うんでしょうか?」
「そりゃあ色々あるでしょう? フィアンセに不満があるなら、他の女性に嫉妬しているなら怒ればいいし」
「……いえ、別に」
受け入れたような、諦めて投げてしまったような口調。
「では、そうですね。変な趣味があるとか」
「変な趣味?」
「そう人に言えないような嗜好です。ちょっとHだったり、浪費癖があったり、仮装癖があったり、妄想癖があったりとか、匂いフェチだったりとか。または……」
言いかけて、思いつく。
「そうですね。あなたにはマゾっ気があると思いますよ」
「え? マゾ?」
「ええ。あなたはマゾヒストです」

そうだ。彼女はマゾなのだ。

絶対に断れない結婚話でもないだろう。
3−Eだって、一年勤めたなら次は替わる機会もあったはず。
ここの監視だって同じだ。
そして、
俺のような面倒な「死神」もまた受け入れようとしている。

彼女はわざわざ自ら困難に身を投じ
それを受け入れようと、しなくてもいい奮闘をする。
これをマゾと言わずして何をマゾと言う?

「『死神』さん」
あぐりが静かに口を開いた。
「私はマゾヒストではありません」
珍しく怒ったような口調。
「普通です」

それから、くるりと後ろを向く。
「普通に、触れて、触れられて、愛して、愛されて、それに悦びを感じます」
彼女の耳が赤い。
それは怒りのせいかなのか、
それとも……

アクリル板に手を伸ばす。
先ほど細い触手を通過させた小さな音声用の穴。

では、言っていいだろうか?
もう一度。

あなたに触れたい。

今度は感謝だけでなく
応援するのでなく
ただ心の底からあなたに触れたいと。

私がそれを言ったら、
どんな顔を見せてくれる?

 

ー 終 ー

 

 

ひとこと

もう致死寸前。
慣れていないだろうはにかんだ笑顔が
ぽりぽりと動く触手が
むっちゃ脳みそをくすぐってくれますよ。
どうしてくれるん?
で、あの球体の頭はどうしたのよ。

 

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