殺白、その後

 

「好きよ、カラスマ。おやすみなさい」

イリーナの指先が軽くオレの口元を拭う。

その瞬間、ほんのひと時だけ不意を突かれた。
風が吹き抜けていったような気がする。
忘れかけた薄苦い記憶が仄かに沸き上がってきて胸元を軽くくすぐる。

「やはり、見事だな」

自分のように心身共に鍛えている人間にでも、隙を与えることの出来る女。

イリーナが残していったグラスに、自らのそれを軽く当てる。

「オレも好きだぞ、イリーナ。訓練を怠らないプロは特に好ましい」

スポーツプレーヤーでも、殺し屋でも、研究家でも、教師でも
自らの仕事に誇りを持ち、その技術を磨くことに余念のない人間は見ていて清々しい。

オレは気分良く、最後の一滴を飲み干した。

 

ー 殺白、その後 ー

 

学生時代、とにかく人と話すことが面倒だった。特に女子。
放課後呼び出されて貴重な時間を搾取される。
そこで繰り広げられる展開はオレには苛立ちしか感じられなかった。

オドオド、モジモジとした態度、ハッキリとしない口調。
言いたいことがあるならハッキリと言え。
そう言いたい気持ちをしばし我慢し、溜めをこらえた上でやっと聞こえる小さな声。
「好きです」
その一言のみ。そしてまたそこで言葉が終わる。続きがない。
「だから何だ?」
そう返すと、相手は泣くか怯える。
または
「つき合ってください」
と続くくらいだ。
「つき合う?何に?」
通学は最短ルートで目的地に着けばいい。途中に会話など不要。
勉学は己自身との戦い。外に出かける時間など無駄。食事は腹に入ればいい。
そう返すと、大抵の女子は怒り出すか泣き出し、何も言葉がないまま去って行った。

 

ニュルルと伸びてきた触手に肩を抱かれ、瞬時にナイフで攻撃をしかけるが、
全てかわされ押さえられ、オレは手持ちの武器を無くした状態で目だけで後ろを振り返った。
「何の用だ?」
そのタコは、今日は顔をピンクに染め、常にも増して大きな口をニンマリと横に開くと
顔にハートマークを点滅させて見せた。
「小耳にはさんだのですが、カラスマ先生はイリーナ先生に『好き』と言われたとか」
「それがどうした」
「本当なんですね!じゃあカップル成立ということで!」
ウキウキと踊り出すタコ。触手がウネウネと宙を舞い、気味が悪いにも程がある。
「カップル?何のことだ?『好き』とは『好ましい』という意味だろう」
「え?そうなんですか!?イリーナ先生!」

クルリと振り返るタコの後ろでイリーナが湯のみに口をつけていた。
「好ましい、ねぇ」
じろりと横目で睨まれる。
「日本語って難しいわよね。同じような意味でも『好き』『いい感じ』『イケてる』『ヤバイ』『好み』『ラブ』『ライク』『好きっていうか殺したい』とか色々あり過ぎてよくわからないわ」
ハァと呆れたように肩をすくめるイリーナ。外からやってきて数ヶ月でのこの語彙力。十分ではないだろうか。
日本語ではないものも入っているし、わけがわからないのも混じっているが。

「これらを使い分けて『好き』って伝えるんだろうけど、私に言わせれば表現が微妙過ぎて逃げ道だらけに見えるわ。わざとどうにでも取れるような言い方にしておいて、相手の反応を見て意味合いをごまかそうっていう魂胆が気に食わない。好きなら好きと堂々とぶつかって玉砕すればいいのに」
鼻息荒くまくしたてるイリーナに、タコがポンと手を打つ。
「じゃあイリーナ先生は玉砕したんですね?」
その途端、イリーナが憤怒の表情でタコに頭突きをくらわした。
「この私が玉砕なんかするわけないでしょ!!あのねぇ、私がもし本気で告白をするなら、もっとスマートに!もっとドギツく!もっと逃げられないようにやりまくって相手をアリ地獄に落とし込んでやるわよ!!」
スマートにドギツく?言ってることがよくわからないが、イリーナのターゲットになると大変そうだ。だが、それこそがプロ根性というもの。オレが感心して聞いていたら、タコがこちらを振り返った。

「もし烏間先生が本気で告白をするとしたら相手に何と言いますか?」
突然話がふられて面食らうが、とりあえず素直に考えてみる。
『好き』は論外だ。自己満足で終わり、その後に発展性がない。
『いい感じ』はあまりに曖昧だ。だから何なのだ?と突っ込みたくなる。
『イケてる』こちらは生徒達がよく使っているが、使いどころが今ひとつよくわからない。
『ヤバイ』元々は危ないという意味だったはずだが、これが好意に繋がる意味がわからない。

その時ふと、昔、語学習得のためにと鑑賞した映画のワンシーンを思い出した。
あの主人公である将校は相手に何と言っていたか?

「そうだな。『愛している』なら本物なんじゃないか?」

自分はまだその言葉を面と向かって言われたことも言ったこともない。
その言葉を言うタイミングがあるとすれば、それこそ本物なのではないだろうか。

そう答えた途端、イリーナが口にしていたお茶をブーッと噴き出した。
机の上の書類一面に水滴が飛び散る。
それどころかPCのキーボードにも被害が及んでいるのではないだろうか。
とにかく今作成していたデータを上げてしまわねば。
動き出したオレの目の前に、まだ半分以上入っている湯のみがダン!と、置かれた。
そして響く叫び声。

「バッカじゃないの!?アイシテルなんてね、ベッドの中くらいでしか口にしないわよ!」

言っておくが、ここは職員室である。曲がりなりにも、だ。

オレがイリーナを見上げたら、イリーナは引き攣り顔でオレを見下ろしていた。
「バカ」と言われたこともそれなりに文句は言いたかったが、何より映画での印象的なワンシーンが途端に陳腐なものにされてしまったようで、オレは異議を唱えたかったのだ。
だが、オレが何かを言うより前にイリーナが呟く。
「アンタ、まさか…… девственник……」
小声でボソボソと連ねられたロシア語らしい音にオレは首を傾げた。
「何のことだ?」
そう尋ねたら、イリーナは立ち上がり片手を上げるとその指をオレの鼻先に突きつけた。
「わかった。アンタをオトすのは簡単だわ」
「は?」
それから、不遜な笑みを浮かべ、腕を組むイリーナ。
「烏間、アンタって自分より大切な人、いないでしょ?」
「そんな人物はいない」
イリーナが、「ほらね」と言うような表情で横を向く。
「だが、自分の命より大事な使命はあると思っている」
「使命って何よ、大義?正義?世界人類の平和?地球の未来?」
小馬鹿にしたような口調にオレは黙ってイリーナを眺める。ヒステリーでも始まったのか?

が、イリーナはニッコリと子どものように微笑むと
「いいわ、私、そういうの大好き」
とても嬉しそうに言って、組んでいた手をほどき片手を自分の口元に沿わせた。
コロコロとよく変わる表情。

「そういう正義感に燃えちゃってるオトコをグズグズにしてやるのって、すっごいカイカンなの。知ってた?」
イリーナの指がオレの頬にかかる。
薄い薄い灰色に近い青い瞳の中の瞳孔が大きく開く。豹が獲物を狙う時の目だ。
オレは強く睨み返した。呑まれるわけにはいかない。

が、イリーナは笑って目を細めた。
「大丈夫、まだオトさないわ。でも覚悟してなさい。一番効果的な時にオトしてあげるから」
そして、カツカツと靴音も高らかに職員室を去って行った。

彼女の姿が見えなくなって少ししてオレは息を吐いた。気付かず息を詰めていたようだ。
それから彼女の台詞を思い出す。

「覚悟してなさい。一番効果的な時にオトしてあげるから」

落とす?
柔道の絞め技か?

確かに、体術にはそれほど秀でていないイリーナが出来るとしたら、接近戦において首などの急所を絞めて落とす方法が一番確率が高いとは思うが、
それでも
「オレを落とすことなど出来るわけもない」
ボソリと呟く。

オレを落とせる人間?
テレビのCMで見たような3人の理想的な肉体を持った女。彼女達ならどうだろう?

首もとに軽く手をやり、目を伏せる。
いや、彼女達が3人がかりでこようとも、オレは自分が落とされるイメージは持てない。

もう一度目を開けた時、目の前にはすっかりと水を吸い込んで救いようがなくなった書類達が広がっていた。
いつ倒れたのか、湯のみがすっかり空になって横に転がっている。

慌ててノートパソコンを持ち上げるが、その底から生温かいお茶が書類の上に滴り落ちた。
オレはノートパソコンの底の水気を拭き取ると、恐る恐るキーボードを逆さにしてみた。
キーボードの隙間から垂れ落ちる滴。内部までしっかりと浸透している。これは絶望的だ。
だが、まぁいい。替えはある。データのほとんどはクラウド上だ。
先ほど書いていた報告書とメールは書き直しとなったが。

オレはため息をつくと、イリーナの湯のみを彼女の席に戻そうと手に取る。
真っ白で滑らかなラインをした、どっしりと太い湯のみ。
共用の湯のみとは違うから、彼女の私物だろう。
彼女が手にしていた時には見えなかったが、その内側は底に近づくにつれ薄く桃色に染まっていた。緩やかな滑らかなラインと肌色に近い薄い桃色。
何の変哲も無い色と形状なのに、今は妙に艶かしく感じる。

その時、後ろで声がした。

「烏間先生は物フェチだったんですね」
「あ?」
「ホラ、聞いたことありませんか?しゃもじのラインは女性の腰のラインと一緒だと言って、そこに美を追求する人がいるって。烏間先生は湯のみフェチだったんですね。知りませんでした」
オレは思わず手にしていた湯のみをタコに向かって投げつけようとして、すんでのところで思いとどまった。
これを破損したら、その後がどんなことになるか。弁償が湯のみ一つ分で済むはずがない。

オレは湯のみをイリーナの机に静かに置くと、タコを無視して机の上を片付け始めた。
雑巾を手に書類の上の海を吸い取り始める。生徒たちの手書きのものは乾かせば何とかなるだろうか。生徒達からの提出物もいい加減デジタルデータになれば楽なのに。
そんなことを考えていたら、また声がかかった。

「ホラホラ、この萩焼なんかどうですか?」
タコはいつの間に行って戻ってきたのか、手に様々な茶碗を抱えていた。
「萩焼は使えば使うほど味わいが出ますが、益子焼の素朴さもなかなか趣深いですし、同じ素朴さでは信楽焼も丈夫でいいですよ。日常使いには備前焼の土色も心が落ち着きますね。ですが、私自身の好みとしては有田焼が一番グッときますね。特に柿右衛門は喉から手が出るほど……」
いつの間にか焼き物談義が始まっていたが、オレはそれを無視して机の上を元の状態に戻していった。

それからチラッとイリーナの湯のみにもう一度目をやる。
外側からは白いだけの単純な湯のみ。でもその中に様々なものを内包している。

イリーナはただの変な女でもバカな女でもない。プロなのだ。
必要があると思えば、同僚のオレであろうと利用してくるだろう。

オレは笑った。
意外性が好きなのはオレも同じだ。退屈など糞食らえ。

「オレを落とせるものなら落としてみろ、イリーナ・イェラビッチ」

 

ー 終 ー

 

ひとこと

すんません〜。
これ、大分前に半分くらい書いてたんですが、すっかり存在忘れてました。
ビッチ先生の告白回直後に書き始めたのにお蔵入りしてました。
本当はこの回はビッチ先生の壮絶な過去とか、神崎さんの服とか、
もっとツッコミたいところ満載なんですが、とりあえず?ノーマルに二人の話にしてみました。
「暗殺教室」は絶対カップリングしなそうなところが、かえって安心して妄想出来ますね。
あー、次は「ギャルゲーの主人公」と「ツンデレスナイパー」を書きたいなっ♩
特にネタはないけれど。。。
ただただ、ひたすらに狙撃の話をしまくる二人に終わってしまいそうです。
そう言えば、その昔諸事情で銃を打つ経験を数回しましたが、かなり気持ちがよかったです。
的に物を当てるというのは、自分と向き合うというか、無にならないと出来ないというか。
微調整の効かない望遠鏡の中に星を入れるというのもある意味似てると思いました。
意味不明でスミマセン〜(逃走)

 

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