いかで今はただ祈りはせで 滅罪生善の法どもをおこなはせ 念仏の声を絶えず聞かばや

訳:今はただ、祈祷はせずに滅罪生善の法などを行わせて、念仏の声を絶えず聞きたいものだ。

出典:『『栄花物語巻十五 うたがひ』

作者:藤原道長(ふじわらのみちなが): 言わずもがな 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」の人。

豪胆で強運の人というイメージですが、晩年は病気がちで、自ら建てた法成寺に住んで極楽浄土を望んだようです。

万寿4年12月(1028年1月)、病没。享年62。死の数日前から背中に腫れ物ができ、苦しんだとされ、癌または、持病の糖尿病が原因の感染症ではないかといわれている。死期を悟った道長は、法成寺の東の五大堂から東橋を渡って中島、さらに西橋を渡り、西の九体阿弥陀堂(無量寿院)に入り九体の阿弥陀如来の手と自分の手とを糸で繋ぎ、釈迦の涅槃と同様、北枕西向きに横たわった。僧侶たちの読経の中、自身も念仏を口ずさみ、西方浄土を願いながら往生したといわれている。
(Wikiより)

この世の栄花を極めたとしても
あの世へは何も持たずに逝くしかありません。

死期を悟って
祈祷も断り
ひたすら無心を目指して念仏を唱えていたのかなぁ。

人生やりきった感はあったでしょうか。

このページに最初の「読んだよ!」を押してみませんか?