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NARUTOも終わり、七つの大罪も原作は少し落ち着いて、
暗殺教室も烏イリは見守りモードに入ったしで、
前から細々やっていた歴史物に注力しておりました。

大姫と言えば悲恋の代表選手で、プロの方が題材にされてるのをいくつか読んでますが
私は今回は横道をいこうかな、と思って妄想しています。

永井路子さん、倉本由布さん、湯口聖子さん、河村恵利さん
どの大姫も素敵ですが、それぞれに大きなブレがないのは、
『吾妻鏡』に事細かく人物が書かれてるからでしょうかね。

 

清水冠者義高と大姫

幼くして許嫁の二人っていうのは萌えるシチュエーションですな。
でも、その年齢差6歳。中1と小1ですよ。
昔は成人が早いし、義高は元服してから鎌倉に来てるはずなので
義高にして見れば、ただ単に妹が出来たって感じだったのでしょうかね。

長子だった大姫は喜んで義高の回りをうろちょろしているようですが、
義高自身は幸氏と双六ばっかりしてたみたいです。

ちなみに『吾妻鏡』を読んでると、大姫はかなり気性が荒いように私は感じます。
だって、普通7歳(満6歳)の子が水断ちしますかね?
メソメソ泣いてるくらいだと思うんですけど。
でもって、15歳(17歳だった)の時に「そろそろ結婚を」と薦められたら
「そんなことしたら身投げするからね!」と親を脅すんですよ。
だけど、その後、入内の話の時には特に何も抵抗してない。

さっすが、政子の娘。
頼家や実朝に比べて、肝っ玉が座ってるよ。
納得のいかないことは断固拒否!そうやって自分の思い通りにする術を知っている。

ということから、勝手に強い大姫像が作られました。
これでも、昔は儚げな病弱の大姫が好きだったんだけど。
「ないない。もしあるとしたら、それ確信犯だから」
とか言ってしまう私は立派に汚い大人です。時は恐ろしい。
純粋な小中高生は読んではいけない内容になりそうです。
実際、濡れ場もある予定だし(笑)

あ、でも実際に病弱ではあったようです。
『吾妻鏡』では大姫の容態が悪くなると北条の人達が大慌てで飛んで帰って来たりしてます。
でも、普通に考えて将軍の娘の容態をそんなに事細かに公式文書にまとめる?
『具合が良くなってきたので、沐浴しました』とかいらないように思うんですけど。

大姫に比べて三幡の出現回数の少なさを思うと、
大姫ってそれだけ特別な姫なの?どうして?と、これまた妄想が広がります。

 

大姫と海野小太郎幸氏

『吾妻鏡』には、二人の接点はありません。
義高の死の後数年間、幸氏は『吾妻鏡』から姿を消し、
そして、いきなり流鏑馬で現れます。

で、頼朝の部下になってます。
奥州征伐には参加したのかどうか記述はありませんが、
私の勝手な予想では、参加したんじゃないかなーと。
大きな手柄は立ててないので、名前は載ってませんけどね。
ちなみに奥州征伐では、北条五郎時連くん(元服後)は多分初陣で
名前がお兄ちゃんの北条義時くんの次に載って、頼朝の本陣にいるようです。

幸氏に関してですが、また時代が後ろにいった富士の裾野の巻狩では、
歌舞伎でも有名な「曾我兄弟の仕返し事件(仇討ち事件)」で頼朝をかばって膝を斬られてます。
頼朝はこの時、政子さんの目を逃れて酒に女に豪遊してたんですよね。まったく。で、政子さんにちくちく嫌味言われてますが、その夜に酷い目に遭ってます。天罰?

この巻狩は頼朝暗殺陰謀説もありますが、『吾妻鏡』では黒幕は明確にせず、何となーく何人かの処罰をして終わってます。ってことは色々あったんだねー。とまた妄想が広がります。
幸氏は数ヶ月後の流鏑馬にはしっかり参加してるので怪我は其れ程でもなかったようです。

というわけで二人の接点はないのですが、そこを妄想するのが私の趣味なので、史実重視の方には納得いかないかと思いますが、そういうのもあるかもね〜と思ってくださる方はお友達になってください〜。

 

流鏑馬神事

今回の流鏑馬神事は、一応『吾妻鏡』に載っている部分をイメージして書いてます。

吾妻鏡 文治四年(1188年)2月28日

「甲午。鶴岡八幡宮で臨時祭が始められた。二品(源頼朝)がお出ましになった。小山七郎朝光が御剣を持った。廻廊に着席された後、流鏑馬が行われた。(海野)幸氏・(諏訪)盛隆の二騎が射た。馬長三騎が馬場を渡った。遠近の御家人がこの法会を勤めるため集まったという。」(『現代語訳・吾妻鏡』より)

諏訪くんに関しても一応キャラ設定はしてあるのですが、今回は武田信光くんに登場してもらいました。
信光くんは武田信玄の祖先で、幸氏のライバルです。年は信光くんの方が10も上ですが。
鎌倉初期、弓は幸氏が当代一と言われますが、武田くんも弓馬四天王の一人なので、弓にはかなりの自負があったはず。だから男同士の意地の張り合いもたっぷりあるかと。そこら辺も妄想すると楽しいです。

後に、土地の権利争いで武田VS海野の争いになるのですが海野が勝利します。でもその後時代を越すと、海野家は武田によって滅ぼされてしまいます。
でも何とか生き延びた血が真田幸村へと繋がっていきます。真田は一時期武田の配下にもありました。ちなみに幸村の本名は信繁ですが、なぜ幸村と呼ばれるか。大阪の陣以降にそう呼ばれたらしいですが、本家の海野氏の『幸』の字を継ぐにふさわしい男と見なされたからなのかなーと。ちなみに幸村の父は昌幸で、やっぱり『幸』の字が使われてます。でも幸村の兄は信之なんだけど……。信幸じゃないの?徳川についたから?悪者扱い?ひどっ!

話が戻りますが、諏訪くんに関しては武田信玄をよくご存知の方なら諏訪御料人と聞けばピンと来るかと。その諏訪殿のご先祖さまです。こちらも武田とは鎌倉より因縁があったんですね。

 

うんこ太郎

さて、『流鏑馬神事』前編ですが、
最初の一行にこれを入れたので、「こいつ、何を書いてるんだ?」と思った方もいらしたかと。
すみません。小学生男子レベルです。

実は私、静岡出身でして、静岡には「海野さん」の名字の方が多くいるのです。
というのも、海野小太郎幸氏の子孫は各地に散らばっていくのですが、
信濃(長野県)から駿河(静岡県)にも多く移動していったようなのです。

そして、その「海野さん」がからかわれる時に一番言われるのが「うんこさん」。

私のクラスに「海野志乃ちゃん(漢字忘れた)」という美少女がいました。
確か小3くらいの時です。彼女のあだ名は「うんこしっこ」。
男子にからかわれていました。
小学男子のよく使う手ですね。可愛い子に意地悪をしてしまうという。
その記憶から今回の話になりました。

全国の海野さん、どうか怒らないでくださいね。
海野さんへの敬意をこめて書いてるので〜。

 

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